安全・安心な食糧を目指して世界中に広まって長年使われるSaFE農薬

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理研では最新分野の研究に多く取り組んでいますが、設立当初の「学問の力によって産業の発展を図る」という意思を受け継いで長年続けられている研究もあります。その一つが農薬の研究です。理研で50年以上ずっと安全な農薬の研究を続け、Sharing バトンゾーンでも10年以上研究してきた有本裕・名誉研究員にインタビューしました。
有本先生の話す姿

– プロフィール Profile –

有本 裕 ARIMOTO Yutaka, Ph.D.
理研 名誉研究員 (Sharing バトンゾーン; 有本特別研究室 2010年4月 – 2020年3月)



長年使って安全なものが「安全」


─ 今年で理研に入って51年目ということで、その間ずっと農薬の研究を続けられていることにまず驚いたのですが、どうして農薬の研究を続けてきたのですか?

研究のきっかけは農薬の研究部門に誘われたからですが、続けてこられたのは楽しかったからですね。
私は1970年に理研に入りましたが、1960年頃に国の要請で理研での農薬の研究が本格的に始まったそうです。
そもそも農薬の研究はとても時間のかかる研究で、平気で10年位が過ぎてしまうものです。

農薬は病原菌や害虫、雑草から作物を守るために使われますが、それでも完全に防ぐことはできないので非常に多くの食糧が失われていて、その量は生産量の3分の1にも及ぶとも言われています。
現代の日本ですと感じにくいでしょうが食糧問題は重大で、農薬によって食糧を守ることが必要です。

─ 無農薬野菜などが好まれる一方で、多くの作物を生産するうえで農薬が大事なことも分かります。農薬の安全性とは、どのように考えられているのでしょうか。

日本では厳しい検査を受けて合格したものだけが「農薬登録」が許され、それでようやく販売できるようになります。しかし安全性というのは難しい命題です。

この物質は安全ですかと問われた場合、「試験した結果で考えられる限り安全です」「これまでで知られている限りでは安全です」と答えることはできます。しかし、これまでに経験のない未知の現象のことまで想定して試験することはできませんよね。ですから、例えば環境問題で言えばフロンがオゾン層を破壊することは予知できず、長年にわたって多くの量が使われて実際にオゾン層が破壊された後で分かりましたし、地球温暖化にしても同じです。

このように予想外の危険性というのは長い期間多くの量を使い続けると見つかります。逆説的ですが長い期間使用を続けても問題の生じなかった物質は安全だろうと考えました。そこで長年食べ続けてきたものを農薬の有効成分にしようというアイデアにたどり着きました。これを“SaFE(セーフ);Safe and Friendly to Environment”と名付けて、その新しいコンセプトに基づく農薬をSaFE農薬と呼んでいます。


失敗したからこそ生まれた成功


─ どのように研究を進められたのですか。

私が入った当初はアミノ酸を有効成分とする農薬を目指していました。最終的にN-ラウロイル-Lバリンというものが選ばれました。これはアミノ酸のバリンとラウリルアルコールという食品にも含まれる二つの物質がくっついたもので、構成要素としては安全に思われるのですがN-ラウロイル-Lバリン自体は別の化学物質ということで安全性試験に10億円近くの費用がかかるために断念されました。

その後には大豆に含まれるレシチンを有効成分とする農薬を出したものの、十分な効果がないということで販売中止になるといったこともありましたが、とにかく幅広く研究を進めていました。
その一つに軸腐病というミカンなどで起こる病害の仕組みを調べる研究があって、ミカンのヘタに抗菌成分があることが分かってきました。その成分の抗菌活性を調べるには水に溶かす必要があり、弱アルカリ性にすると水に溶けるので重曹を使うことにしました。重曹はふくらし粉としても使われるものですね。
試しに重曹だけ溶かしたものも使ってみたのですが、それで十分に高い抗菌効果がありました。そこから重曹を有効成分にした農薬ができそうだと気づき、試してみたところカビの一種が引き起こす「うどんこ病」という病害によく効くことが分かってきました。

─ 本当に色々と試行錯誤されていたのですね。

そういった姿勢が研究者にはとても大事だと思います。その後、理研と民間企業が一緒になった「重曹農薬研究会」が結成されて重曹を主成分とする農薬「ノスラン水和剤」が開発されましたが、これが苦難の始まりでした。

─ 何があったのですか。

今でも覚えてますが、1982年に農薬登録されて販売の一歩手前となりました。そして販売に関する会議が開かれたのですが、その席で「イチゴで薬害が発生した」という連絡が入りました。
すぐに現場へ駆け付けるとイチゴの葉が褐色に変色していました。これまで薬害が出ていなかったキュウリにも薬害が出ることがわかり、発売中止となりました。本当に、失意のどん底に突き落とされましたね。
有本名誉研究員が当時のことを話す様子

─ それでどうなりましたか。

重曹農薬研究会は解散しましたけど、私たちは諦めませんでした。
重曹は安全性が高いものですし効果が高く私達には魅力的でしたので、まず薬害のメカニズムについて研究を始めました。
理研の温室では薬害が出ていなかったので薬害が出るケースと出ないケースがあり、そこを突き詰める必要があると感じたからです。そして乾燥がポイントだと分かりました。

─ なぜ乾燥すると薬害が出たのですか。

乾燥した場所で作物に散布すると水分が蒸発して重曹の結晶ができます。その結晶が夜露に溶けると、とても高濃度の重曹の溶液が作物の表面にできてしまい、それで被害を与えていたのです。
その解決のために重曹に別の成分を足して結晶化を防ぐことしたのですが、500〜600種類の薬品を試して、さらに分量も色々と変えてみてもうまくいきませんでした。

その頃は精神的につらかったですね。それから4年が過ぎた頃は「もう諦めよう」 という気分にもなりました。
でも始めにみた重曹のうどんこ病防除効果がすばらしかったことを思い出し、その思いで続けることができました。

─ 状況が変わったきっかけは何だったのですか?

偶然の出来事でした。その日も重曹を入れた試験管に薬品を混ぜていたのですが、重曹の入った試験管が1本余りました。捨てるのはもったいないので、たまたま目の前にあったグリセリン脂肪酸エステルという薬品を混ぜたのですが、それが大当たりでした。

その試験管では重曹をグリセリン脂肪酸エステルによってコーティングされた状態でした。それを乾燥させて粉末状になったところに水を混ぜるとその溶液中に細かい液滴ができて、液滴の中では重曹が高濃度になっていました。
この現象によって重曹の量を減らしても部分的には十分に高い濃度になるので、そのおかげで農薬としての効果を維持できました。そして農薬全体では重曹の量が減ったので結晶化することもなく薬害を大幅に軽減することに成功しました。

その後、重曹の代わりに重炭酸カリウムという物質でも同じ効果を持つことも分かり、それを有効成分とする農薬を開発しました。そして1993年に農薬登録されて「カリグリーン水溶剤」という製品名で東亞合成株式会社から発売されました。

─ 最初の失敗から10年以上をかけ、ついに実用化に成功したのですね。

それまでの苦労が報われて、これ以上ない喜びでしたね!
実際に製品化されたカリグリーンを手にした時の感動も、本当に格別なものでした。
カリグリーンはすでに発売から25年を超えましたが、アメリカの有機ワインの生産に欠かせないものとなったと聞いています。さらに中東・南米・東南アジアといった世界の多くの地域で使われています。

─ 25年以上も世界中の多くの場所で使われる研究成果というのは、とてもインパクトがありますね。

でもカリグリーンの製品化のすぐ後、これで終わりではないと気付きました。カリグリーンだけで様々な病害や害虫を防げるわけではないので、従来の化学農薬が併用されます。消費者が求めているのは個々の農薬の安全性ではなく安全で安心な農産物です。
SaFE農薬だけで安全・安心な農作物をつくれなければあまり意味がありません。

その後もSaFE農薬の研究を続けていき、現在では7種類のSaFE農薬が上市されて4種類が農薬登録の準備段階に入ってます。いま進めている中には、少し変わった農薬ですけどスギ花粉の飛ぶ量を少なくさせる薬剤というのもありますよ。
有本名誉研究員がスギの状態を確認する様子

必要なのは、最後までやり抜く覚悟。


─ 新しいコンセプトのSaFE農薬が世界中に広まって長年使われるものになり、またこれまでに多くのSaFE農薬を実用化に結び付けてきましたが、それらの経験から思う「大事なこと」は何ですか?

研究成果を生み出した研究者が「やり抜く覚悟」を持つことですね。

新しいテーマを始めるときにはいつも「お前はこれを製品にするまで続ける覚悟はあるか?」と自分に問いかけます。「はい」と答えられれば開発を始めます。製品にするには多くの人の力を借りる必要があります。途中でうまくいかなくなったからといって投げ出すようでは迷惑をかけます。始めたら、製品になるか全員が手を引くまで私からやめるとは言えません。

理研のような研究所や大学の研究成果を製品とするには企業の人の協力が不可欠です。実際に製品に仕上げるのは企業ですから。そして研究成果を製品にするのはとても大変なことです。農薬の場合ですと国の厳しい安全検査にも合格しなければいけません。また、それを多くの農家が買って利益が出ないと企業は販売を続けられません。
ですから企業の人にも強い熱意がなければ研究成果を製品にするのは不可能です。

そのためには、このテーマは本当に「すごい」「おもしろい」という実感があるかどうかだと思います。この思いがその後の研究開発の原動力であり、持続力です。カリグリーンがまさにそうでした。そしてそれが企業の人の理解を呼び、協力していただいて製品化にたどり着くと思います。

─ 強い熱意とやり抜く覚悟。これを最後まで持ち続けるということですね。

SaFEのような新しいコンセプトに基づく提案の場合、最初の頃はなかなか受け入れられにくいものです。企業の人にとってその提案が本当にいいものなのか判断できる材料が少ないことが一つの要因なので、まずは理解してもらうことが大事です。そして企業の人とのコミュニケーションを重ねながら理研のような公的研究機関が積極的に推進し、研究者の熱意や覚悟が伝わることで実用化につながると思います。
そういった点でバトンゾーンのコンセプトの「一体となる」というのは良い方向に働くのではないでしょうか。

企業の人に研究成果をしっかりと理解してもらい、製品にしたいという情熱が伝わり、そして仲間として一緒に夢中になって進められる信頼関係を築く。そうなれば企業の人も強い熱意を持ってくれるようになります。しかし、そのような状況に至るまでが非常に大変なことです。巡り合わせやタイミングもありますから。
なので、第一に研究者自身が強い熱意と覚悟を持ち続ける必要があります。


もう一つ大事な点は、実用化されたら研究者の役目は終わりということにはなりません。企業と一緒により使いやすくするような努力が必要です。発案者ですから製品に愛着はありますが、執着しすぎて口を出すのは違うと思います。
執着より愛着を持って見続けることが大事です。
いまも私は実際に農家さんとお話しながらSaFE農薬が使われている様子を見続けていますし、その中で新しい研究テーマが見つかることもあります。

― つまり「最後まで」というのは消費者とも向き合っていくということですね。

研究とは、理研の設立の趣旨にあるように、最終的には産業の発達に貢献して未来の人々の暮らしを豊かにしていくためのものだと思っています。研究者は自分の論文発表のために研究するものではなく、企業のために研究するものでもないです。
色々なことを解明して論文で発表することが重要な分野もあるでしょうが、そういうステップがあったとしても最終的には未来の人々の暮らしを豊かにしようという意思は必要ではないでしょうか。
そう考えれば自分の研究成果がどのように使われているのか見届けたいという愛着も生まれ、自ずと消費者とも向き合っていくものだと思います。

そのような意思と覚悟を持った研究者がこれから増えて、良い方向に進んでいくといいですね。

有本名誉研究員の姿

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